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「ひこにゃん」を巡る、どろどろとしたトラブル [故郷のこと]

きのうのレースの後遺症は意外に大きくて、昨夜は高熱に悩み、きょうは両足のハムからふくらはぎの裏にかけての張りがひどい状態です。まるで運動会で1年ぶりに走ったお父さんのようですが。

つまり、普段ほとんど使ったことがない筋肉を使ったということですな。常日頃のスピード練習の不足を改めて実感しております。というわけで、きょうはゆっくりと武庫川河川敷を宝塚市役所まで往復、21.7キロでした。1時間59分。今月累計は131.8キロ。体重は69.8キロ。

きのうのコメントで「ひこにゃんTシャツ」が見たいという、sonicさんのコメントがありましたので、公開します。おなじみ、「座る」「はねる」「刀を持つ」の3ポーズのひこにゃんなんですが…。

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きのう、レースの後、久しぶりに彦根の町をぶらぶら歩きしたのですが、驚いたのはコンビニなどに「ひこにゃん」の類似品が堂々と売られていることでした。名前は「ひこねのよいにゃんこ」。類似品の生みの親は、オリジナル「ひこにゃん」の作者と同じというのが、この問題の厄介なところ。

ひこにゃんは、2007年の彦根城築城400年祭のキャラクターとして生まれました。イベントの終了後、著作権は彦根市に移り、この後で商標登録もされました。

ところが、この3ポーズ以外の「ひこにゃん」について、原作者が「祭りのPR以外の営利目的で使われている」と調停を申し立て、その結果、原作者に「ひこにゃん」の類似キャラが登場する絵本の発行を市が認めたという経緯があります。これが「ひこねのよいにゃんこ」なんですな。

調停の合意事項で、3ポーズ以外のキャラは規制したうえで、原作者には絵本に限りこの類似キャラの使用を認めることになったわけですが、その後、類似キャラが市に無断で発売されることになったのでした。彦根市は類似キャラの販売業者に対し、発売中止を求めています。

なんとも後味が悪い問題ですな。原作者は「彦根市はキャラクター管理をせず、作者の意図しない性格付けがされた」などと主張しています。

既に立体の着ぐるみとして活躍している「ひこにゃん」は、かつての鈴たたき以外にも、エアギターなどの新技を会得しているわけで、僕としては、こうして芸を進化させていくさまを楽しみにしているんですよね。これも原作者から見れば、「作者の意図しない性格付け」になるんでしょうか。

というわけで、この日、娘用にぬいぐるみを買いました。もちろん、本物の「ひこにゃん」の方です。

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かくれ里のご馳走 [故郷のこと]

ふるさと近江で楽しみにしていたのは、ひこにゃんに会うことと、「かくれ里」の訪問でした。
日曜日。近江八幡でレンタカーを借りて、琵琶湖大橋を西岸に渡って、湖岸沿いに北上。
目的地は湖北の西浅井町の小集落、菅浦(すがうら)。琵琶湖に浮かぶ竹生島(ちくぶしま)は目の前です。


200戸ほどの寒村で、主要街道から離れ、最近まで周囲の集落との行き来も少なかったとか。
愛読している白州正子さんの随筆「かくれ里」(講談社文芸文庫、1991年)では、

「菅浦の住人は淳仁天皇に仕えた人々の子孫と信じており、その誇りと警戒心が、
他人をよせつけなかったのである」と紹介しています。
都での権力闘争に敗れた皇族を地域のよりどころにする、「かくれ里」の典型的パターンとか。

奈良時代中期の淳仁天皇は758年(天平宝字2年)に孝謙天皇から譲位を受けました。
しかし退位して院政を敷いた孝謙上皇が、有名な僧道鏡を重用したことから、上皇との不和が深まり、
わずか6年後に権力を剥奪され、さらに淡路に追放されて、まもなく亡くなっています。

一方、淳仁天皇の片腕だった藤原仲麻呂(恵美押勝)は孝謙上皇、僧道鏡の専横に反乱を起こし、
しかし官軍に敗れ、菅浦にも近い近江の高島で討ち死にします。
湖北地方は淳仁天皇にとっても縁の深いところ。

菅浦の集落の山手にある須賀神社の祭神は、淳仁天皇と伝えられています。
悲劇の主人公に対する村人たちの強い信仰心を示してか、
石段の下で靴を脱いで、はだしでお参りするのがしきたりとか。

われわれがいる間も、歴史のマニアの方たちの参拝が絶えないようでした。

で、うれしかったのは、この集落で唯一営業している割烹民宿「佐助」で頂いた昼の定食でした。
生簀から上げたばかりの鯉のお刺身と、皮の湯引き、鯉こく、子持ち鮎の煮付け…。

こんなに贅沢なランチ(2000円)に加え、ご主人お得意の集落の歴史のお話もたっぷり。

再訪をお約束して、幸せな気持ちで菅浦を後にしたのでした。この時期は天然の鴨鍋も名物だとか。

滋賀(近江の国)は都に近かっただけに、高貴な人たちが世を避けてお隠れになった「かくれ里」が、
県内に点在しています。観光地化などとは縁がない、そんな集落を、静かにたずねるのが、
ここ最近、帰省したときの楽しみになってしまいました。やや、枯れすぎてるかな。ま、いいや。

            ♪         ♪         ♪

火曜日からの3日間は、平日のプチ強化合宿。けさも最低氷点下8度としばれましたが、
白石サイクリングロードを行ったり来たり、2時間47分かけてちょうど30.0キロでした。
ずっとキロ5分40秒ペース。3日間の走行距離は80キロ足らずでした。

今月累計201.5キロ。体重はほぼ3週間ぶりに70キロを下回り、69.8キロ。


ひこにゃんに惚れた [故郷のこと]

ふるさと滋賀の自宅に2泊し、いましがた札幌の自宅に戻って参りました。
きょうは、金曜日のブログで触れた彦根城400年記念祭キャラクター、
ひこにゃんに会ってきました。想像以上の愛らしさに、参ったのは妻のほうでした。

土日曜日と祭日の1日3回、天守閣前広場や彦根城博物館に登場するのですが、
明らかにひこにゃん目当ての中年おばさん、家族連れがわんさと待っています。

石垣前で10分近く、愛くるしいポーズをとった後、ミニーちゃんみたく、
訪れた200人ほど、みんなとの2ショット撮影に応じていました。

ポーズを決めて振り返ったり、おしりをぷりぷりと振ったり…。
なりきりキャラクターものに詳しい妻によると、

「自分がかわいく見えている方法をよく知っていて、ポーズも研究している」
「中に入っている人にプロ意識がある」なのだとか。

しかし、43歳の大の大人が、こうも簡単に心を奪われるとは…。ちょろいなぁ。

そのひこにゃん、今年6月に始まるイベント、「井伊直弼と開国150年祭」でも、
引き続きキャラクターを務めることになったようです。
調停騒ぎも一件落着して、商標登録も更新されることになったようです。

うれしいのは、せいぜいひこにゃん一匹の存在で、ここ数年は帰省するたびに、
さびしくなるように感じていた彦根の町が、ぱっと輝いて見えたこと。

いつもとやや違って明るい気持ちで、故郷を後にしたのでした。

          ♪         ♪         ♪

滋賀で久しぶりに雪のない道を走るつもりで、夏用シューズを持っていったのに、
食べては寝て、寝ては食べて、また体重計に乗るのが怖いくらいになりました。
正月もきょうで本格的に終わって、あしたからまた走り始めます。


ひこにゃんに逢いたい!! [故郷のこと]

ええ~、きょうはいわゆる「ゆるキャラ」のお話です。硬派の読者の皆さん、すみません。
実はわたくし、妻を伴って明日から3日間、滋賀の実家に帰省をする予定なんですけど、
楽しみにしていることがあります。それは…、「ひこにゃん」に会いたい、ということなんです。

ひこにゃんは、昨年開かれた、国宝彦根城築城400年祭のキャラクターです。
いまや全国区の人気で、年末も、お城のすす払いをする様子が、全国ニュースで流れたり。
どうも地味な印象が強い滋賀の、スーパーアイドル的存在になりつつあります。

ところで、「ひこ」は「彦根」だからいいとして、なぜ「にゃん」なのか。

彦根藩邸に近かった江戸・世田谷の豪徳寺で、2代藩主の井伊直孝が、にわか雨にあい、
大木の下で雨宿りをしていると、手招きをする白猫がいて、猫に近寄ると、大木に落雷があった。
直孝は猫に感謝し、後に豪徳寺を井伊氏の菩提寺としたそうです。

ひこにゃんの貢献は大きく、築城400年祭が予想を大きく上回る人出でにぎわっただけでなく、
お正月も特別住民登録している彦根市に、年賀状が多数舞い込んで、
ひこにゃんはその返事書きに大忙しだとか。どうです、このまめさ。見習いたいぐらい。

ひこにゃんについては、当初の原画を脚色したかたちでぬいぐるみが制作されたことに、
原画のイラストレーターが彦根市を相手取って、民事調停を申し立てるなどの騒ぎにも発展。
人気者だから仕方がないとして、滋賀県出身者としては彼のマスコミ露出がただ嬉しいんです。

滋賀県内のマラソン大会では、ひこにゃんのかぶり物姿のランナーも出没しているとか。
たとえ母親に馬鹿にされても、妻にあきれられても、ぼくは絶対ひこにゃんに会いたい。

         ♪         ♪         ♪

札幌は最低氷点下5度。2時間4分かけ、白石サイクリングロードの東札幌~北広島市境間22.3キロを
往復しました。往路はキロ5分50秒、復路はキロ5分30秒ほど。水曜から3日間で62.6キロ。
ちょっとがんばりました。今月累計122.9キロ。体重は相変わらず70.4キロ。


琵琶湖の深呼吸 [故郷のこと]

わたくしのふるさとである滋賀県の面積の6分の1を占めるのが琵琶湖です。
一番深いところは103.6メートルですが、水深70メートルを超えると、「琵琶湖の主」が住んでいます。
名前はビワコオオナマズ。体長は1.2メートルほどで、最大のものは2メートルを超えたとか。
食用には適さないことから漁師には嫌われ、それがゆえに琵琶湖に長く君臨しています。

毎年訪れている琵琶湖博物館(滋賀県草津市)の大水槽で飼育されており、
帰省した折には、妻や娘と必ず会いに行くことにしています。眠っていることも多いのですが。

なぜこんな話を持ち出したかというと、「琵琶湖の主」にとってちょっと心配な記事が
毎日新聞の大阪本社版に出ていたからです。

琵琶湖では冬から春にかけて、表層の水と深層の水が対流して交じり合う「全循環」が起こるそうです。
これによって酸素が湖底近くまで行き渡って、ビワコオオナマズの生息環境を支えているのだとか。
ところがこの冬の記録的な暖冬の影響で、湖面近くの水が十分に冷やされず、
故に循環が滞って、3月上旬になっても深層の酸素回復が十分でない状態だったのだとか。
深部の生態系に大きな影響を与える可能性があり、研究者が異例の緊急声明を発表しました。

ところが3月末になって、再調査をしたところ、深層部の酸素濃度は、ようやく正常な値に戻ったのだとか。
理由は3月中旬に寒波が訪れたことなどが考えられるようですが、
研究者たちは「仮に温暖化の影響なら、今後も同様の状態が起きることも考えられる」として、
今後も警戒を続けていくようです。

琵琶湖って、年に1度、深呼吸していたんですよね。
その深呼吸で「琵琶湖の主」も君臨できたんだな、と思うと、
自然のメカニズムの大きさ、尊さに感動してしまいます。
「温暖化」。やはり大切な問題だなあ、と再認識しましたよ。

きょうは週末の走りこみに備えて、ランニングはお休みにしました。
カープはまた連敗。開幕から6カード、連続で勝ち越しなし。やや深刻です。


故郷と家族を紡ぐ糸 [故郷のこと]

滋賀滞在は最終日となりました。
夜半から降った雨がちょうど朝方上がり、朝食の前に実家の周辺を走ってきました。
大型低気圧の影響が残って、風はまだ冷たかったのですが、
およそ1時間足らずで、ちょうど10キロ。

走ったコースは「よし笛ロード」という愛称が名付けられています。
よし笛とは、琵琶湖沿岸の葦(よし)から作った縦笛の意味です。

実家の周辺はもとは琵琶湖の内湖(ないこ)が近くまで迫っていたところで、
食糧増産を目指して昭和30年代に国が大規模な干拓を行ったところ。
ところが琵琶湖に流れ込む水を浄化する役割を果たしてきた内湖がなくなったことで、
その後、琵琶湖の汚染は急速に進みました。

現在はわずかに残った内湖が自然遺産として保存され、
例えば小舟が水郷を巡るコースが設けられるなど、観光活用の取り組みが始まっています。

滋賀を最初に離れたのは、高校を卒業した18歳の時。
その後、大阪、東京、秋田、北海道と、ふるさとは徐々に遠くなっていきますが、
距離と反比例するように郷愁はだんだん強くなっていくようです。
年をとっていくことと関係があるのかもしれませんが、
最近では例えば近江を愛した白州正子さんの著書などを愛読するようになりました。

きょう(8日)は母親と妻と3人で、奈良時代から信仰を集め「おたがさん」の愛称で親しまれている多賀町の多賀大社にお参り。ここは母親が、亡くなった父親と結婚式を挙げたお社です。

ここで、この春中学に上がる娘のために、「学業成就」のお守りを買いました。
午後の新幹線で東京に戻り、娘には池袋の焼き肉店でこのお守りを渡しました。

そういえば滋賀は初めてだった妻も、近江に伝わる昔話の本を買って読み始めてくれています。

生まれ育った土地やお社と家族が織りなして、人生が紡がれていく。
なんて当たり前のことを、いとおしく、ありがたく感じたお正月でした。


さざなみ街道 [故郷のこと]

琵琶湖の東岸、湖北から湖南地方まで湖岸に沿って伸びている「さざなみ街道」。
車道に沿ってサイクリングロードがあって、ここを練習場所に選びました。
午前6時におきて、車で西国三十三ヶ所めぐりの札所がある長命寺まで。
ここから琵琶湖を右手に見ながら、快適なランニング……といいたいところでしたが、
大型低気圧で暴風注意報が出ていて、
おまけに気温も0~1度ぐらい。
琵琶湖も波がかなり高く、湖岸ゆえに風も強い。
これじゃあ、札幌と変わらんやんけ、と思ったものの、
それでも雪がない路面なんて久しぶりなので、
走るのを断念した妻を車に残して走り始めました。

往路は秒速5メートルぐらいの向かい風を受けながら、キロ5分30秒で
京阪神からのウインドサーファーでにぎわうマイアミビーチ(名前がちょっと笑えますが)まで。
復路は徐々にペースをあげながら最後はキロ3分40秒。
うひょ~。だって雪がないんですもの。
1時間15分でちょうど16キロのランでした。スピード練習もできました。
暴風のこんな環境でも走れるのは、きっと普段の雪上練習効果なのでしょう。

自宅に戻って朝食を食べた後は、母、妻を連れ出して草津市の琵琶湖博物館まで。
自然、生物、地質から、人々の生活、さらに琵琶湖にいる魚たちの水族展示まで、
ややひいき目な評価を割り引いたとしても、ここの博物館は世界でもトップクラスです。
エネルギー革命以前の昭和30年代の実際の農家を移築したのがとても好きで、
ここでは当時のテレビ番組なんかも放送されていてくつろげます。
明治時代の琵琶湖の遊覧船の絵が飾ってありました。かわいい。

あとは水族展示のピワコオオナマズは体長1メートルほどあり圧巻です。
余談ですが、昨年の知事選で初当選した嘉田由紀子さんは、
96年開館のこの博物館に構想段階からかかわり、その後研究員を務めたことで知られています。
知事選では「もったいない」を合言葉に、自民、民主、公明がおした本命現職を破り、
自民党にとっては、俗に「滋賀ショック」などと呼ばれています。

帰りは近江八幡市に立ち寄り、八幡山ロープウエーに。

近江八幡は、秀吉のおいの豊臣秀次が開いた町です。
秀次といえば、一時は後継指名されながら、秀頼の誕生で運命ががらりと変わった悲劇のヒーロー。八幡の人には、わずか10年の治世ながら名君と言われています。
ふもとに下りた後、日暮れる八幡堀を歩きました。

ここは鬼平犯科帳をはじめ、数々の時代劇のロケ地として知られています。


滋賀の実家まで [故郷のこと]

3連休を利用して、妻と滋賀の実家に帰省しておりました。
いまや珍しいパルス回線だったせいか、
インターネットに接続できず、
6日の分からまとめて、アップしていきます。

勤務明けで午前3時前に帰宅し、
6時に起きて8時台のスカイマーク便で羽田まで。ちょっときつい。
昨年の新千歳線参入以来、苦戦も伝えられるスカイマーク便ですが、
さすが3連休の初日とあって、ほぼ満員です。
羽田は大雨。東京駅まで移動し、ひかりで米原まで。
お昼のお弁当は東京駅八重洲口の紅虎家常菜の日替わり弁当(700円)。

棒餃子(一本100円)もあわせてボリュームたっぷりです。
彦根まで在来線で行き、ここから実家まではレンタカー。

長くスポーツを担当していたころは、
正月といえば天皇杯、高校サッカーで休めるはずもなく、
高校サッカー決勝(1月8日)が終わって初めてお正月でした。
秋田に異動してからはこれからは解放されたのですが、
なまはげのとりこになってしまい、実家に帰るのはどうしてもこの時期になってしまいます。

妻にとっては初めての滋賀でのお正月となります。
琵琶湖や彦根城、安土城、八幡堀などの名所を案内し、
淡水魚が中心の田舎料理を味わう旅になりそうです。

それになんといっても、雪がないという環境はしばらくぶり。
あした(7日)の朝は、琵琶湖岸のサイクリングロード(さざなみ街道)を、
妻と2人で走ってきます。楽しみだ、というか大型低気圧が心配だ。


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