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2010春 南九州の旅 ブログトップ

枕崎「まんぼう」のぶえんかつお定食と、人吉「松龍軒」の餃子 [2010春 南九州の旅]

西宮での最後の週末です。この一週間は飲み会が続いたのが影響したか、土曜日はさすがにどっと疲れが出て、引っ越しの手伝いをわずかにする以外はゆったりとしていました。  

再び「南九州の旅」の残りネタです。

鹿児島でうまいものというと豚しゃぶと白熊、熊本だと馬刺しとラーメンというところでしょうが、夜は路地裏奥のカウンターだけのお店を訪ね歩いていたせいで、いずれも食べそこないました。

というわけで、ランチが主戦場となりました。鹿児島での2日目、篤姫ゆかりの地である今泉を訪れた後に、向かったのは遠洋漁業基地としてしられる枕崎。カツオの水揚げ量では全国トップ級です。

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ここで有名なのは「ぶえんがつお」。一本釣りしたカツオを船上にて、活きじめ(血抜き)したあと急速冷凍した枕崎の名物で、弾力性のあるモチモチとした食感と、生臭さのない味で知られます。 
  
魚価の低迷や、燃料費の高騰で厳しい環境にさらされる漁協が生み出したのだとか。   

で、頼んだのは 「ぶえん鰹定食」でした。腹皮の塩焼と、酢の物、煮物に酒盗、フルーツ、ご飯、味噌汁がついて、1200円でした。触れ込み通りの食感と、なんといっても腹皮がうまかった。

霧島温泉に泊った後、すなわちその2日後、訪れたのは熊本の人吉(ひとよし)でした。西南戦争で反乱軍の西郷隆盛が田原坂で敗れた後、2000人の兵で拠点としましたが、1万を越す政府軍の包囲を受けて、あっけなく薩摩への撤退を迫られたところ。

ここの名物は餃子で、市内にはいくつもの名店があります。訪れたのは「松龍軒」。やや小ぶりで、片面だけ揚げ焼きにされた愛着のある餃子。カリカリではないけれど、さっくりとしてた食感です。

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一皿は9個で360円。夫婦で4皿頼みましたが、そのあと一皿追加しました。具は野菜が中心ですが、たっぷりではなく、いくつでもぱくぱく食べられます。メニューもドリンク以外は餃子だけ。備え付けのたれに、ラー油ではなく唐辛子を入れて食べます。これもうまかった。

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竜馬とおりょうに思いを馳せ、霧島の湯をゆったり楽しむ [2010春 南九州の旅]

転勤を前に相変わらず、ばたばたとすごしています。引っ越しについては、妻が少しずつ片付けてくれていて、なんとか来週末には荷物をまとめることができそうです。

で、ぼくは何をしているかというと、仕事も日々の番以外は主なものが片付き、送別会シリーズに入っています。日々、社内やラン関係の仲間たちと遅くまで飲み、朝は二日酔いに苦しんでいます。

さて、南九州の旅はシリーズ3回目。3泊4日の旅の最後の宿は霧島温泉でした。

                             ♪

霧島温泉を竜馬が訪れたのは1866(慶応2年)と伝えられています。竜馬が仲を取り持った薩長同盟が締結された直後、竜馬は寺田屋で伏見奉行の捕り手に襲われました。命からがら屋外に逃げだして、材木場に潜んで命をとりとめましたが、このとき左手の指を斬られて負傷しています。

傷ついた竜馬をかくまったのが薩摩藩で、思いのほか傷が深かったことから、西郷隆盛の勧めで、霧島温泉での療養を思い立ったそうです。龍馬はおりょうを伴って、薩摩藩船で薩摩に赴き、83日間逗留したそうです。温泉療養の傍ら霧島山、鹿児島などを巡ったそうです。

これが、これが日本最初の新婚旅行と伝えられています。

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で、われわれの旅も、2泊滞在した鹿児島から、噴煙をあげる桜島に渡って、霧島に向かいました。まずは霧島神社。社殿の左手に樹齢800年のスギのご神木があり、迫力たっぷりでした。

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霧島温泉での宿泊は丸尾温泉の「旅行人山荘」でした。明治後期から野島陸軍少将などの別荘に利用された温泉を譲り受けた創業者が、大正6年に開業したのがルーツで、創業90年。

建物は新しくなりましたが、宿の人たちの細やかな気遣いに、老舗らしさを感じました。

宿の周辺に点在している露天風呂も時間制で貸切ができて、風呂の周辺をゆったりと歩くシカの群れを楽しみながら、リフレッシュできた時間でした。部屋から見える桜島、開門岳も絶景でした。

                           ♪

水曜日は武庫川河川敷を宝塚市役所まで往復。1時間50分かけて、20.4キロでした。今月累計では135.8キロ。体重は69.6キロ。今月は300キロまで届けば御の字でしょうか。

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今泉と尚古集成館、篤姫の足跡をミーハーのように追う [2010春 南九州の旅]

大河ドラママニアのわたくしにとって、過去の大河ドラマ「ベスト3」は1976年の「風と雲と虹と」、きのうも触れた1990年の「翔ぶが如く」、そして2008年の「篤姫」です。次点は1980年の「獅子の時代」でしょうか。

こうして並べてみると、平将門、西郷隆盛、平沼銑次と反乱のリーダーを主人公にした番組が多いのですが、篤姫だけは異質のようです。それは単に、僕が宮崎あおいが好きだからです。

というわけで、鹿児島滞在中は「篤姫」ゆかりの史跡歩きに時間を費やしました。

まずは指宿市の今泉地区。一帯は、篤姫こと「於一(おかつ)」が生まれた島津家の分家、今泉島津家の領地があり、その屋敷跡がいまは小学校になっています。海側には立派な石垣があり、これが屋敷跡。於一は18歳のころまで、ここで幼少期を過ごしたと伝えられています。

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樹齢200年を超える大木もあり、どうしてもここで篤姫が遊んだのかしら、と想像してしまいます。近くには今泉島津家の郷社である豊玉媛(とよたまひめ)神社があります。仁王像が素朴で美しい。

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その翌日の朝には、鹿児島市の北郊にある尚古集成館を訪ねました。篤姫の養父でもある島津斉彬公が製鉄用の反射炉、ガラス製品の製作所、紡績工場など、藩の近代化のために最新の施設を築いたところ。その隣に薩摩藩の庭園である「仙巌園(せんがんえん)」があります。

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別名「磯庭園」とも呼ばれているところですが、「篤姫」の鹿児島城下のシーンや、品川の薩摩藩邸のシーンなど多くの場面がここで撮られたそうです。なんといっても桜島や錦江湾を借景にしているというダイナミックな風景があり、しかもタイムスリップしたような古い風景も残っています。

というわけで、溺愛する宮崎あおいちゃんの容姿を思い浮かべながら、「篤姫」を満喫した鹿児島滞在なのでした。ま、単純にただの歴史ミーハーということですな。ただのあほです。

                             ♪

日曜日は武庫川河川敷を尼崎海釣り公園~阪急神戸線まで、1時間50分かけて往復20.4キロでした。今月累計で115.4キロ。体重は鹿児島での暴飲暴食が効いて、70.6キロ。

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幕末から明治にかけ志士が駆けた鹿児島を走る [2010春 南九州の旅]

旅行中のブログ更新というのは難しいのものです。なんでかというと、いつもにまして飲むからなんですけど…、というわけで3日ぶりの更新となりました。きょう帰阪し、あすから仕事に戻ります。

                            ♪

南九州旅行2日目の朝はたっぷり鹿児島市内の史跡ランを楽しみました。宿泊した鹿児島サンロイヤルホテルは海辺の鴨池運動公園の近くにあり、まずは甲突川に出て、川沿いを山に向かって走っていきます。ここはランニングコースとして整備もされていて、快適です。

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まずは坂本竜馬とおりょう夫妻の像。1866(慶応2)年の薩長同盟の締結直後に、寺田屋で襲撃を受けた竜馬が、西郷の紹介で湯治のために薩摩を訪れたという記念碑です。近くには、薩英戦争の砲台跡があり、沖合の英国軍艦に向けて砲撃の火ぶたが切られたところとか。

近くには薩摩藩の財政改革に力を尽くした調所広郷の像もあります。

甲突川をさかのぼっていくと加冶屋町に入り、まず西郷隆盛の出生地。対岸の高麗町には大久保利通の出生地もあります。実はぼく、司馬遼太郎の作品では、この二人の友情と対立を描いた「翔ぶが如く」が最も好きで、小説の場面、場面を思い出しながらのランでした。

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ともに維新後は新政府の要職にありながら、「征韓論」をさかいにして対立を深めていく西郷と大久保。「翔ぶが如く」はそのどちらにもシンパシーを抱かせる、司馬さんの傑作だと思っています。

そして、西南戦争の激戦地だった私学校。壁に残る政府軍の弾痕後が有名です。ここから城山を上り、まずは西郷が最後に司令部を置いた洞窟があり、ここから城山を一気に上りました。

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冠雪した桜島。きれいでした。ここからは名君島津斉彬公がまつられている照国神社から、繁華街の天文館を抜けて、ホテルに戻りました。1時間45分かけて、15.8キロの密度が濃いランでした。

150年ほど前の歴史を、ほんのちょっと前のことのように刻み、それを消化しているかのような鹿児島が好きになりました。

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真っ黒な雪雲に追われながら、隠れキリシタンの里を行く [2010春 南九州の旅]

旅の初日というのは、いろいろトラブルが付き物です。朝5時40分に家を出たのはいいものの、伊丹空港で「熊本行きは大型低気圧接近に伴う雪と強風の影響で、引き返すかもしれません」とアナウンスがありました。

空の上から見た阿蘇、久住連山は大雪。機体は大きく揺れながら、なんとか着陸して一息でしたが、空港近くでレンタカーに乗り、熊本市内を抜け、天草に向かうところで、雪が激しくなりました。路面もぬれて、さらにわだちのようになってきました。

なんどか危うい思いをしながら、次から次へと真っ黒な雪雲が海からやってきて、肝を冷やしました。もちろん、スタッドレスではないですからねぇ。

きょう、訪れたのは崎津天主堂と大江天主堂でした。いずれも天草下島の南海岸の漁村にある教会です。16世紀中期のキリスト教伝来以来、迫害と殉教の悲話で知られるところ。静かな入江に佇む天主堂の様子を写真で見て以来、いつか訪ねたいと思っていました。ブログ100310①.JPG

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崎津天主堂は1569(永禄12)年の建立。しかし徳川幕府の禁教令が1638(寛永15)年に発布されて、迫害の嵐が吹き荒れました。村人たちは「踏み絵」をさせられながらも、ひそかに真夜中に一緒に集まって礼拝し、祈りをささげていました。

禁教令は1872(明治5)年に廃止されましたが、なんと2世紀半もの間、信仰は守り抜かれたのだとか。教会は明治以来三度建て直され、現在のゴシック様式の建築は1935(昭和10)年の竣工です。今も崎津には400人の信者がいて、日々使用されているそうです。

そんな日常の生活の身近な感じと、歴史の重さ、それと漁村ののどかさのギャップがなんとも不思議です。幕末に幕府の練習艦に乗って、勝海舟もこの漁村を訪ねたそうです。禁教令が廃される前のこと。どんな思いで、この地を訪れたのでしょうか。

あすは鹿児島市内の史跡を走って訪ねた後、知覧や指宿、枕崎を訪れる予定です。

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