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2008夏 道北の旅 ブログトップ

黒い!!音威子府そば [2008夏 道北の旅]

晩夏の道北の旅。産業遺跡とグルメランニングを楽しむ旅だったのですが、
すっかりお気に入りになったのが、美深と音威子府(おといねっぷ)でしょうか。

楽しみにしていたのは音威子府村の名物「音威子府そば」。
蕎麦の麺が黒く、独特の風味と香りで全国的にも有名になりつつあるようです。

村内では駅そばのほか、道の駅、民間の食堂でも出しているのですが、
製造元は駅近く、創業80年の「畠山製麺」で、生麺と乾麺があります。
「黒さ」の秘密は、玄そばの甘皮まで挽いて入れているせいなのだとか。

われわれ夫婦がち立ち寄ったのは、国道40号沿いにある「一路食堂」。

人口千人を切っているとは村の食堂とは思えないほど、
長距離トラックの運ちゃんたちや商用のドライバーでにぎわっていました。

で、ぼくが頼んだのは大盛りそばと豚丼セットでした。豚も道北産だそうです。
こしがあって、むせるようなそばの香りがするという黒そば、堪能してきました。

そばを挽くと、最初に出てくるのが一番粉、次が二番粉、三番粉と言うそうです。
音威子府そばは二番粉、三番粉のみをブレンドしたものだそうです。
でんぷん質が多い一番粉は歯切れの良い食感があるけど、風味には欠ける。
二番粉はこのバランスが優れ、食感と風味のコンビネーションがいいのだとか。

個人的には、やっばり固ゆでがお勧めかな。新そばも食べに行きたいな。


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ビッキさんのトーテムポール [2008夏 道北の旅]

旭川出身でアイヌの血を引く彫刻家、砂澤ビッキさん(1931-1989年)。
風や土をテーマに、自然を賛美する大胆だけど繊細な作風で知られ、
芸術に詳しく幼児教育に携わる妻は、特別な思い入れがある芸術家のようです。

恥ずかしながら、僕は名前こそ知っていたものの、その作品に触れたことはない、と。
これまでずっとそう思っていたのですが、邂逅というのはどこであるのかわかりません。

初めてオートバイ北海道を訪れた19歳の春に、立ち寄った国鉄音威子府駅。
トイレを借りた後、見上げた駅前のトーテムポールがビッキさんの作品なのでした。

鎌倉、札幌などで製作活動を続けたビッキさんが、永住の地として選んだのが、
音威子府の中心市街地から北に8キロ離れた「筬島」(おさしま)という小集落です。
廃校になった小学校がアトリエでしたが、それが現在は美術館になっています。

道北旅行の途中、前日に泊まった美深・仁宇布のファームインで奥さんに勧められ、
この美術館「エコミュージアムおさしまセンター」に立ち寄りました。

ビッキさんの若いころから晩年の大小の彫刻作品のほか、未完成の作品や
さらに1960年に装飾を手がけた札幌・ススキノのバーの店内も再現されています。


それに…、19歳のぼくが見上げていたトーテムポールはその後、倒壊して
美術館のなかに「トーテムポールの木霊(こだま)」として、床板を外した土の上に
静かに横たえられています。「土に還す」というビッキさんの考えを体現したそうです。

長居したのに、それでも何回も来たくなる、不思議な魅力を持った美術館でした。

かつて林業と、そして交通の拠点として栄えた音威子府村ですが、
現在の人口は1000人を切り、全国でもっとも人口が少ない自治体なんです。
過疎の現実は重い事実なんだけど、明るいニュースもたくさんあります。

道立おといねっぷ美術工芸高校はこんな環境を生かした、美術系の単科高校です。
全道、全国から生徒が集まってきて生徒は100人ほど。
なんと、距離スキーは全道4連覇中で2003年にはインターハイで全国制覇もしています。

小さくても輝く村。全国の過疎の村に勇気を与えるモデルになれば、と思いました。


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美深トロッコ王国 [2008夏 道北の旅]

北海道マラソンの前に行っていた道北旅行の小だねがまだいくつかあります。
ランニングは土曜日までお休みするので、いくつか紹介しますね。

道北旅行の大きなテーマは国鉄廃線跡めぐりでしたが、ただ廃線跡といっても、
「鉄子」でもない妻を付き合わせるには、ちょいと無理がある。
そこで楽しみにしていたのが、旧国鉄美幸線の跡地を利用して
地元のNPO法人によって運営されている「トロッコ王国」なのでした。

かつて赤字ローカル線全国ワーストと呼ばれた路線21.2キロのうち
終着の仁宇布(にうぷ)から約5キロの地点まで、鉄路が残されており、
保線用に実際に使われていたトロッコに乗って10キロを往復します。

トロッコには300ccのガソリンエンジンが取り付けられていて、
あとはアクセルとブレーキの操作だけ。鉄橋も保線用の小屋も残されている
森の中の鉄路を、時速15キロほど、約50分余りの行程だけどこれがおもしろい。

ややエンジンの音がうるさいのが難点だけど、行きはぼく、帰りは妻が運転し、
かつて列車が走っていたころと同じ風景を味わってきました。
廃止されたローカル線のうち、こんな形でも残っている例はかなりまれです。

鉄道建設や運行に従事した人たちの思いも含め、地域の歴史を語り継ぐ意味で、
こんな形であっても、活用して残していくことの意味を考えました。
運行は雪に閉ざされる10月中旬ごろまで。料金は大人1200円。お勧めです。


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羽幌炭鉱跡を訪ねた [2008夏 道北の旅]

旅日記をちんたらと書いている間に、北海道マラソンが近づいてまいりました。
旅から戻り仕事に復帰した後は、3日に17.2キロ、4日に19.0キロ、
そしてきょう5日は17.2キロ走りました。当たり前だけど、スピードも試しています。
きょうは往路と復路で合計5キロのレースペース走(キロ4分10秒)も入れました。

あした木曜日からは距離を落とし、疲れをとります。今月累計63.4キロです。
本州から北海道にいらっしゃるランナーの皆さん、すっかり札幌は涼しくなりました。
レース後、朝夕は冷えますので、長袖シャツ必携です。お会いするのが楽しみです。

さて、道北への旅日記もいよいよ最終日。9月2日、日曜日。
最後の日の宿に選んだ羽幌の「吉里吉里」は実は、ぼくが19歳の時に初めて訪れて以来、
これまで6度も訪れている、道内でも一番の思い出がある宿なんです。
「吉里吉里」のことについては、いずれ別の機会に触れたいと思っています。

羽幌から札幌までは150キロほどの行程ですが、ぜひ訪ねたい場所がありました。

羽幌はかつて炭鉱で栄えたところ。羽幌の市街地からやや北側の築別からは、
内陸の築別炭鉱、上羽幌鉱に向けて私鉄の羽幌炭礦鉄道が走っていました。
石炭を搬出するための鉄道であるとともに、約2万人いた労働者やその家族たちの足でした。

1939(昭和14)年に鉄道の工事が始まり、タコ部屋労働の突貫工事の末に完成しましたが、
戦時体制下の資材確保は困難で、橋梁などは改修工事で不要となった各地の中古品を使用したようです。
というわけで、あちらこちらの鉄橋はすべて、なんだかちぐはぐな構造です。なんだか、憎めない。


この鉄道跡をたどりながら、炭鉱町の跡を訪ねました。煙突や炭住団地に加え、選炭所であり
積み出し拠点でもあったホッパーが草に埋もれていました。側面に「羽幌鉱業」の文字があります。

羽幌炭鉱鉄道は1970年の閉山とともに廃止され、気動車の一部は茨城県の茨城交通に譲渡されました。
マルーンに白帯という塗装は1983年まで残され、その後は茨城交通カラーに塗り替えられたものの、
1997年まで営業運転に使われたようです。最後の年は再び羽幌時代の塗装に戻されたのだとか。

天寿をまっとうしたのですね。泣かせる話です。

余談ですが、羽幌炭鉱はスポーツにかなり力を入れていたそうで、なかでも、
野球部、男女バレー部、スキー部ジャンプチームは国内トップクラスの実力を誇っていたようです。
野球部は都市対抗野球に出場した経歴があり、1965年にドラフト指名された選手もいました。

札幌冬季五輪の金メダリスト、笠谷幸生選手の兄昌生選手もここの所属で、ジャンプ台もあったとか。

夕張や歌志内、美唄など空知の産炭地ではかつての炭鉱の建物や設備を、産業遺産として残し、
郷土の誇りとして語り継いでいこうという動きもありますが、多くの場合ここのように放置されたままです。
ただ、このまま放置するのは先人の労苦を思うと、やはり忍びない。そんな思いを深くした旅の終わりでした。


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牧場の中のスローフード [2008夏 道北の旅]

道北の旅は6日目(9月1日)。残すところあと2日になりました。
豊富町のサロベツ原野の北辺にある、とほ宿「あしたの城」では前日深夜まで世界陸上を観戦しつつ、
宿主や別の客も交えて、北海道再生や朝青龍問題についての闘論になりましたよ。

とほ宿というのは原則男女別相部屋の宿で、海外のバックパッカーズとやや似ています。
バックパッカーズと違うのは、多くの場合、家庭料理の夕食、朝食が出されるところ。
午後9時をすぎると、自然発生的に共有スペース(リビング)での酒盛りが始まります。

かなりさばけたユースホステルというイメージでしょうか。北海道を中心に全国にネットワークがあり
多くは一泊5000円前後で、例えば今回のように夫婦で個室に泊まるにしても6000円程度。
旅に関する情報は宿にどっさりとあり、経済的で中身の濃いツアーも随時催行しています。
ぼくの場合は、なにより、宿主との会話が楽しくて、十代のころから愛用しています。

今回、妻にとっては初めてでした。一人旅などしたことがない妻ですが、
かなり強く触発されたのか、「今度はひとりで来たい」などと突然言い始めています。

さて豊富町のメーンの目的は、この宿にも近い兜沼にある、
スローフードレストラン「ミセス・ロビンソン」をたずねることでした。
農家風の一軒家で、周囲には牧草地と兜沼しかありません。

なにがスローフードなのかというと、地元の食材を使っているというのはもちろん、
とにかくオーダーから、食事が出されるまで時間がかかるのです。
メニューにも「美味しさを失わずお出しするために注文を受けてから
作業に取り掛かるため、短時間での提供は無理がある場合があります」
という注意書きがあります。ネットで調べると注文から1時間弱というところのようです。

で、妻が頼んだのは「オムライス」、ぼくは「ポークステーキ」なのでした。


待ち時間に備えて、本や雑誌を持参しましたが、意外に早く30分ほどで出てきました。
ちょっと拍子抜けでしたが。でも、自然光が柔らかに差し込む二階のゆったりとしたスペースで、
鳥のさえずりを聞いて、うとうと眠気を感じながら、ぜいたくな時間でした。

妻とシェアしながら頂きましたが、ボリュームも味も満足でしたよ。かなり、お勧めです。
お値段はサラダやコーヒーなども含めて、3000円足らずでした。

豊富では、日本最北端の温泉街として知られている豊富温泉も堪能してきました。
1926年(大正15年) 石油を試掘している最中、天然ガスとともに温泉が湧き出したそうで、
湯は黄色く濁り、石油臭があるのが特徴です。好みは大きく分かれそうだけど、癖になりそうな湯でしたよ。

この日の行程は羽幌まで。途中、初山別村の公営温泉「岬の湯」に車を止め、
海辺をめぐる一周5キロのコースを2周(10キロ)しました。坂道が多く、練習になりました。

羽幌の宿も、とほ宿「吉里吉里」。天売島にゆったりと沈む夕日が美しかったのでした。


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最北の地で戦争を考えた [2008夏 道北の旅]

旅行第5日目(8月31日)はオホーツク海沿いの北見枝幸から日本最北端の宗谷岬を
ぐるっと回って、稚内を経て、サロベツ原野の豊富までの行程です。
旅も5日目ぐらいになると、時間や食生活のリズムが体に馴染んでくるころ。

北見枝幸から国道238号線をやや北西に進むと、浜頓別町。
ハクチョウの休憩地として知られるクッチャロ湖畔に車を止め、
妻と走り始めました。旧国鉄天北線の跡地利用で整備されたサイクリングロード。

鉄道廃線マニアであり、ランナーのわたくしにとって、往年の鉄路を、
その痕跡を探しながら走るのって、なんて気持ちがよくて、贅沢な瞬間でしょう。

付き合わされる妻には、迷惑な話だったかもしれませんが。ごめんね。
ばちがあたったのか、走り始めてすぐアブの大群に襲われ、あちこち刺されましたが。

1922年に音威子府から稚内までが全線開通した天北線は、
サハリンへの連絡鉄道として建設された宗谷本線の最初のルートでした。
その直後の1926年に、サロベツを経由する鉄路(現在の宗谷本線)が開通すると、
大量輸送の役割は終え、国鉄分割民営化後の1989年に廃止されました。

夏草に覆われて、駅もこんな感じで残っています。写真は山軽駅。なんかいいなあ。
このあたりは土地が平坦であることから、戦時中に軍事飛行場として注目され、
強制連行された多くの朝鮮人が、その建設作業に従事させられた場所でもあります。
結局、飛行場は未完成でしたが、天北線には「飛行場前」という停車場もありました。

建設工事では過酷な労働条件に多くの朝鮮人が命を落としたそうです。
そんな史実に思いをはせながら、往復20.0キロのランニングでした。

浜頓別からは宗谷岬を経て、稚内まではおよそ2時間。

稚内公園には、かつての樺太居住者の望郷の念を伝える「氷雪の門」がありますが、
その脇にひっそりと「九人の乙女の碑」が立てられています。

終戦から5日後の1945年8月20日、ソ連軍が樺太真岡(現在のホルムスク)に、
迫ったとき、真岡の町で交換手を務めていた9人の少女が、職場を守りつつ、
「皆さんこれが最後です さよなら さよなら」の言葉を残して青酸カリ自殺しました。

なぜ終戦後に戦闘が続いたのか。なぜ死ななくてはならなかったのか。
宗谷岬からわずか43キロ(フルマラソンぐらいです)の距離の樺太は見えませんでしたが、
図らずも、改めて戦争の悲劇を考えてみた一日になりました。

この日の宿は豊富町の「あしたの城」。真っ赤な夕陽が、利尻島の上に落ちました。

今月累計423.2キロ。体重は69.8キロ。旅の間の体重管理ってホントに難しい。


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敷かれなかったレール [2008夏 道北の旅]

美深・仁宇布の「ファームイン・トント」の夜は、食べ、飲み過ぎたけど、
午後9時から朝7時まで10時間、ぐっすり眠りました。
朝食は愛らしい牧場の緑に囲まれ、羊乳と羊ソーセージ

初めての羊乳。癖は思ったほどになく、ただ栄養素がいずれも牛乳の1.7~2.0倍だとか。
搾乳が手作業ゆえ、コストの壁は高いけれど、
なんとか市場に送り出そうというオーナーの心意気を感じました。

朝食後、牧舎で羊の搾乳のお手伝いをさせて頂きました。足を引っ張っただけですが。

それにしても、わたしのように都会の喧騒から逃れてくる人たちをゲストとして招きながら、
農園のオーナーは、合理化や販路拡大など現実の問題から逃れられるわけではありません。
つまり、牧場のなかにあっても、常に都会の消費者のニーズと無縁ではない。シビアな世界です。

ところで、かつて美深と仁宇布を結んだ国鉄美幸線は全国ワースト1の営業係数だった路線です。
1974年度の営業係数は3859。つまり100円の営業収入を上げるのに、3859円の費用を要したとか。

もともと美深と北見枝幸間57.5キロを結ぶ計画だったので「美幸線」との名がつきましたが、
昭和60(1985)年9月の廃止時、仁宇布から先、北見枝幸までの工事のかなりの部分は完成し、
あとは砂利が敷き詰められ、枕木とレールを敷くばかりだったとか。

松山農場の敷地には一度も列車が走ることがなかった路線の跡が残っていました。
難工事の箇所もあったといい、犠牲者もあったでしょう。それでも列車は走ることがなかった。
ちぐはぐな日本の交通政策と戦後史の一端をここに見たような気がしました。

話がわき道に逸れましたが、「ファーム・イン・トント」(1泊2食6400円)、お勧めです。
この値段で、宿の雰囲気も食事も部屋も、オーナー夫妻の人柄もすべて一流でした。

オーナーに見送られて宿をたち、仁宇布からいったん美深まで出て、音威子府、小頓別を経て、
オホーツク海沿い、毛がにの水揚げ高日本一の北見枝幸まで。この日のメーンの目的だった、
美深の「トロッコ王国」、音威子府(おといねっぷ)そばについては後ほど触れさせて頂きます。

枝幸では高台にある町営の温泉ホテルで毛がに、海の幸たっぷりの夕食でした。

夕食前に妻と、北見枝幸の市街地を周回してウスタイベ岬までの道を1時間12分かけて13.0キロ。
今月累計403.3キロ。8月の課題だった400キロはなんとかクリア。体重はかなり増えて70.4キロ。


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もそっと幌加内そば [2008夏 道北の旅]

水曜日以降、LAN環境から離れ、携帯も通じない場所を中心に道北の宿を転々としていました。
日曜日夕方、無事に札幌に帰って参りました。6泊7日。道北へのちょっとした長旅でした。
帰ってみれば、北海道マラソンまであと一週間。ばたばたした一週間になりそうです。仕事もたんまり。

時はさかのぼりますが、妻が合流した水曜日(8月29日)以降の旅日記から、アップしていきます。
旅のキーワードは、「国鉄廃線跡」「B級グルメ」「ランニング」、そして「とほ宿」でした。

午前9時、雨竜町から車で20分の深川駅まで迎えに行きました。札幌からは特急で1時間と少し。
5日間の休みを取るために前夜遅くまで仕事をしていたという妻は、案の定一本遅れてきました。

というわけで、10時前に深川駅を出発。深川と名寄を結んだ旧国鉄深名線に沿って北上します。
1時間足らずで、幌加内(ほろかない)町。全国一のそばの収穫量を誇り、そば屋も点在しています。

やや早く着きすぎたので国道沿いのバスターミナル2階にある深名線資料室を見てきました。
深名線は道内屈指の赤字ローカル線で、営業係数は常にワースト10に入っていました。

林業開発と水力発電を目的に大正末期に一部が開通し、戦前に完成しましたが、
国鉄分割民営化後の1995年(平成7年)に廃止されました。

資料室には駅名標のほか、古くからの時刻表、料金表などが所狭しと展示されていて、
いまは消えた鉄路に対する地元の人たちの愛情を感じたのでした。幌加内市街地のの北側には
長さ100メートルの第三雨竜川(ポンカムイコタン)橋梁が保存されています。

鋼材は英国からの輸入で、昭和6年に総工費5500円で完成したのだとか。
これも撤去予定でしたが、「鉄道の痕跡を後世に伝えよう」という有志の尽力で残ったようです。

さて、そばの話に戻りますが。事前のリサーチをもとに選んだのは旧幌加内駅近くの「八右ヱ門」。
民家の玄関から入って座敷で頂く十割の田舎そばが名物です。

麺はもそもそして太めですが、これぼくの好みなんです。ぼくはもり2人前の「板そば」(1050円)。

ボリュームたっぷり。どろどろしたそば湯もおいしく頂きました。

幌加内からは国道275号を北に進み、朱鞠内湖畔から名寄、智恵文の広大なひまわり畑を見て、

国道40号を美深に北上。美深からは旧国鉄美幸線沿いに仁宇布(にうぷ)まで行き、集落の中心から、
さらに3キロ進んだ農家民宿「ファームイン・トント」に宿泊しました。

ここを経営する松山農場はよく知られたシープファームで、羊乳を使ったグラタンと、生肉ジンギスカン、
そして自家製アイスが名物。オーナー夫婦と楽しく会話を楽しみながら、たっぷりビールも頂きました。
夕方、宿から仁宇布駅の先まで妻と走り、7キロ。今月累計390.2キロ。


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暑寒別岳トレイルラン [2008夏 道北の旅]

暑寒別岳は北海道中部の日本海側にそびえる増毛山塊の最高峰(1491メートル)。
雨竜町側にある登山口は標高540メートルで、標高差950メートルほどの登山です。
途中には日本で二番目の広さの高層湿原「雨竜沼湿原」がある人気のコース。

ただ登山口からは頂上まで13キロ。往復すると山渓ガイドで12時間余りという
なかなかハードなコースです。で、ここを時々ランを入れながら6時間で折り返してくる、
というのが、きょうの練習。登山の心拍数は最大心拍数の7~8割。
この運動を6時間続けて、秋のウルトラのレースに備えるのが狙いです。

でもね、ぼく実は暑寒別岳って、札幌に来て以来の課題だったのでした。
結婚する前にススキノに住んでいた頃、日々の練習コースは豊平川河川敷。
天気がいいと、冠雪した暑寒別岳が札幌からもよく見えるんです。
というわけで、3年越しの愛情を表現する登山なのでした。

登山口スタートは7時55分。湿原に入り、片道2キロもある長い木道を進みます。

水草のオゼコウホネを楽しみにしていましたが、もう終わり。
夏の終わりを意味するエゾリンドウが一面に咲いていましたよ。

湿原を過ぎ南暑寒別岳へののぼりに入ります。チシマザサをかき分け、
ハイマツの根を飛び越え、複雑な形をしたダケカンバの林を抜けて山頂へ。

ここから暑寒別岳までは一度200メートルの急坂を下って降りて、
長いやせ尾根を歩いていきます。頂上には11時03分に到着。往路は3時間8分。

期待していた利尻山や大雪連峰は雲で見えなかったけど、
十勝連峰や日高山脈、羊蹄山、ニセコや積丹の山々のパノラマを楽しみました。
100キロ以上も離れた札幌の街も見えましたよ。光っていたのは札幌ドームかな。

下りも一気に降りて復路は2時間56分。往復で6時間18分(山頂休憩含む)でした。
さすがにへとへとに疲れて、ふもとの町営温泉でゆったり休みました。
きょうも宿は「ゆき・ふる・さと」。一人旅はきょうまで。明日は深川で妻と合流します。
今月累計383.2キロ。体重は68.2キロ。


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道北へ…旅のはじまり [2008夏 道北の旅]

日曜日のナイアガラマラソンの後は、走れなかったストレスもあったのか、
ついつい痛飲してしまい、当たり前のように旅支度もできず、買い物もできず。
したがって、午前中は買い物に走り回り、旅立ちが遅くなってしまいました。

しかも会社に所用を思い出し、会社を車でたったのは午後2時すぎ。
一日目の宿は北空知の雨竜町と決めました。目的はラムサール条約登録地の、
雨竜沼湿原めぐりと、暑寒別岳(しょかんべつだけ)登山
あす、火曜日の早朝からアタックすることにしました。

国道275号線をひたすら北上し、当別、月形、浦臼と過ぎて、
目指す雨竜町の旅人宿「ゆき・ふる・さと」に着いたのは午後5時前でした。

雨竜町は北海道ブランド米「ほしのゆめ」で知られる田園地帯。
晩御飯はおいしいご飯を大盛りで2杯おかわりしましたよ。

あしたのコースは登山ガイドブックの所要時間で往復約12時間。
これをトレールランを入れながら7時間で行ってきます。

それから今回の道北への旅は計7日間。最初の二日間はひとり旅。
妻は水曜日から合流する予定です。

それから、旅のあいだ、コメントに対する返事や、
皆様のブログへのご訪問が難しくなります。
来週末、帰宅後にお邪魔させていただきます。失礼をお許しください。


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