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2010冬 沖縄の旅 ブログトップ

国際通り近く、居酒屋「助(ひろ)」のおばあに惚れる【完】 [2010冬 沖縄の旅]

沖縄には過去3度訪れてはいるのですが、これまでは竹富、西表、波照間と八重山諸島ばかりなのでした。ですから今回、那覇の楽しみはなんと言っても国際通りでした。表通りは土産物屋や派手な居酒屋が並びますが、路地にはいると面白そうなお店が多そうです。 

滞在中に2度通ったのが、国際通りに近い居酒屋「助(ひろ)」でした。札幌の親しい友人に教えてもらったお店で、那覇マラソンに出場するおりは必ず立ち寄るお店だそうです。

お店のママである、「おばあ」(勝手にそう呼ばせてもらいます)とはうれしい出会いになりました。 

本格的な沖縄料理、しかもいまや消えつつある料理を忠実に受け継いでおられ、それを手間を掛けて居酒屋価格(300~600円程度)で出されているのがすばらしい。カウンターに座らせて頂き、沖縄のお料理、風習などお話をいろいろ聞かせて頂きました。

まずはドゥルワカシー。漢字で書くと「泥沸かし」で、見た目は美しい料理ではありませんが、泡盛にぴったりでした。沖縄特産の田芋(ターム)とその茎(ムジ)を煮つぶした料理で、お祝いの席で出されることが多いようです。500円。すくがらす豆腐もおいしかった。

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そして、ヒラヤーチー。「平たく焼いたもの」という意味で、チヂミに似た沖縄風のお好み焼きです。からりと薄く香ばしい。ここではソースをつけずに、頂きます。450円。もずくの天ぷらはここの名物。

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そして、沖縄と言えば県魚のグルクン(タカサゴ)の唐揚げ。600円。頭からぼりぼりと食べました。

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入れた泡盛の4号瓶のボトルは、最後の夜にきれいになくなってしまいました。デザートにはドラゴンフルーツのゼリー。じつは頼んだ品よりも、遙かに多い品が出てくる、沖縄名物の「かめかめ(食べて、食べて)」攻撃に、おなかも気持ちもいっぱいになった那覇最後の夜でした。

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お値段もたらふく食べて、相当飲んで3000円に届かないほどです。お薦めです。

おばあ、ありがとう。また、きっと来ますね。 那覇に「おばあ」が出来たことがうれしいです。

                          ♪

水曜日朝は武庫川河川敷を尼崎海釣り公園まで往復16.0キロ。1時間29分。今月累計374.2キロ。体重はぎりぎり69.8キロ。相変わらず、体重管理に苦労しています。

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座喜味城跡と中城城跡…グスクの曲線美に酔う【4】 [2010冬 沖縄の旅]

沖縄の旅、最終日の4日目は琉球王朝時代の城、つまりグスクを巡りました。まず訪れたのは那覇から北に40キロ、読谷村にある座喜味城でした。アーチ型の城門と、曲線美が艶めかしいほど。14世紀に、琉球史上随一の築城家と呼ばれる護佐丸(ごさまる)が築いた城です。

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日本本土の城というのは一般的に、いくさに備えたものか、江戸時代以降は政庁(つまり役所)といて使われたものに区別されるんでしょうけど、この座喜味城も戦いに備えたものとしては井戸がないなど、不思議な点が多いらしく交易拠点だったというのが郷土史家の見立てのようです。

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沖縄本島の中南部にあるグスクは、硬い石灰岩の岩盤上に築かれるのが通常の形態だそうですが、座喜味城は唯一、丸みがある自然の地形に合わせて造られ、全体的に丸味を持っています。

丘の上にあって、残波岬や本部半島、久米島などの眺望が素晴らしく、それゆえに戦時中は日本軍の高射陣地となり、戦後は米軍のレーダーサイトとして使われました。そんな経緯もあって、余計な建造物や装飾も一切なく、その素朴さが古城マニアを泣かせるのかもしれません。

ここから15キロほど東に離れた中城(なかぐすく)城も訪れました。座喜味城と同じ護佐丸が築いた城ですが、一転こちらは日本の山城のような堅牢な作りで、難攻不落という雰囲気です。それでも、城門はアーチ型で、城壁の縁は曲線になっていて、やはりちょっと艶めかしい。

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ちなみに、城主の護佐丸は政敵の策謀にはめられ、王朝軍の攻撃に戦わずして自害し、城を明け渡したと伝えられています。

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沖縄戦の激戦地からは離れていて戦争の被害から免れ、城壁の保存状態はすぐれているようです。しかし、1975年の沖縄海洋博を前に、すぐ南側の高台で観光ホテルの建設が進み、結局このホテルは開業計画が頓挫して、その後35年にわたって醜態をさらし続けています。

戦争、観光や宅地開発…。文化財が美しく保たれるには、いろんな障害があるものだと思いましたが、それだけに素朴に残された座喜味城に、引き込まれるような美しさを感じました。

きょう火曜日は5日ぶりにランオフ。金曜日からの4日間で100キロ、よく走ったなあ。

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「ちゅらさん」ゆかりの石畳道を下り、牧志市場外のテビチ定食に涙する【3】 [2010冬 沖縄の旅]

朝刊勤務明けの月曜日は武庫川河川敷を宝塚の清荒神まで往復走でした。帰りは阪神高速本線まで下って、2時間57分かけて32.4キロ。今月累計で358.2キロ。体重は減らず、69.8キロ。

                            ♪                                                       

さて、沖縄旅行3日目は車をホテルにおいて、ゆいレールの一日乗車券を買って歩き始めました。まず向かったのは、牧志公設市場に近い「やちむん通り」。やちむんとは沖縄の言葉で、焼き物。琉球王朝が17世紀に那覇周辺に複数あった陶窯を集めたところで「壷屋焼き」として知られています。

この壷屋焼きの茶碗か、からから(泡盛を入れる急須)の年代ものを得ようと、かたっぱしから骨董屋ののれんをくぐりましたが、お目当ての品は数が少ないうえに、お値段も想像とはひとケタ違います。予算が5000円では難しいと悟り、やむなく断念しました。

後で土地の人に聞くと、壷屋焼きは大量生産ができないうえに、戦争の影響もあって数が少なく、値段が安い掘り出し物を見つけるなら、フリーマーケットで探すしかない、とのことでした。う~ん残念。

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ゆいレールで終点の首里駅まで行き、東側から首里城公園に上りました。城壁が大変美しく、ここは戦争とは無縁だったのかなと思いきや…、実際は旧日本軍が沖縄戦直前に首里城の地下に司令部壕を掘ったため、空と地上から米軍の猛爆を受けて、徹底的に破壊されたそうです。

米軍は跡地に琉球大学を設置し、その後大学が移転したのに伴い、公園整備と城の再建が本格的に始まり、92年に現在の姿になったようです。いまも正殿の朱の塗り直しのさなかでした。

楽しかったのは、この首里城公園から南側に下りる「金城町石畳道」でした。16世紀に王朝が整備した石畳の舗装道で、途中に「ちゅらさん」のエリーの那覇の実家があるんですよねぇ。もちろんドラマには、外観と石畳道だけが登場するだけなんですけど。

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2001年の「ちゅらさん」は僕自身、もっとも深くはまってしまった連続テレビ小説ですが、もっとも好きな場面は大学受験に失敗したエリーが、家出して東京に旅立つシーン。それがまさにこの石畳道なんですよねぇ。家出を知っていた父親役の堺正章が坂の上から見送るわけですが。

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この後は県立博物館をたっぷりとみて、最後は牧志公設市場近くの「ミルク食堂」で、豚足と野菜の炊き合わせがたっぷりの「テビチ定食」(850円、沖縄そば付き)。「ミルク」とは弥勒のことで、五穀豊穣をもたらす神様のことなんだそうです。雰囲気も素朴で、気持ちまで満腹になりました。

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嘉手納基地から、そばロードを通って美ら海水族館へ【2】 [2010冬 沖縄の旅]

沖縄旅行2日目は那覇から北へ。まず向かったのは米軍の嘉手納基地でした。那覇からは車で30分ほど。飛行場の北側にある道の駅の屋上からは、基地の中が広く見渡せます。

嘉手納基地は面積19.95平方キロ。3500メートルの滑走路2本があり、200機近くの軍用機が常駐する極東最大の空軍基地です。嘉手納町の面積の実に83パーセントが基地用地だとか。

妻と訪れた時も、F-15あわせて4機が2機ずつ編隊を組んで、訓練をしていました。急旋回する時の「バリバリ」という音のけたたましいこと。道の駅で見た町制作のビデオによると、騒音被害だけでなく、廃油の不法投棄による井戸水の汚染など住民不安ははかり知れないそうです。

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沖縄戦だけでなく、戦後も日本の負の遺産を一方的に負わされてきた沖縄の人たちの苦しみを思うと、いま議論になっている普天間基地の移設問題に絡んで、マスコミも含めて日本の世論が本気で沖縄の負担軽減という視点で論議をしているのかどうか、恥ずかしい気持ちになりました。

ひと事のように、米国政府との交渉でなかなか決着をみないと、政府の批判はするくせにねえ。

近くの「東南植物楽園」に立ち寄ったあと、高速を利用して向かったのは、「沖縄そばロード」でした。名護市から本部町に向かう県道沿いにそばの名店が並んでいて、どの店を選ぶか迷いましたが、訪れたのはソーキそばが名物の「中山そば」でした。名護はソーキそばの発祥地なのだとか。

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いただいたのはソーキそば大盛り(700円)。おいしかった。ボリュームたっぷりのソーキ(あばら肉)3切れに、平麺、あっさりしてスタンダードな風味のスープ。軟骨がポリポリとかじれるソーキは癖になりそうです。

この日最後の目的地だった美ら海水族館には、午後4時以降に入館すると、通常入場料の3割引(1800円→1260円)となるチケットがあります。沖縄の古い集落の面影を残す「備瀬のフクギ並木」をのんびりと散歩した後、やや日が傾いてから中に入りました。

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ジンベイザメの大きさに驚き、マンタの悠々とした泳ぎに、時間が経つのを忘れました。

                             ♪

きょう日曜日は出勤前に武庫川河川敷を尼崎海釣り公園まで往復18.0キロ。1時間34分。今月累計では325.4キロ。体重は69.4キロ。なんとか、400キロに届いたかな。 

「そばロード」を訪れたときは、市長選のまっただ中だった名護ですが、きょう開票があり、普天間の基地機能の辺野古移設案に反対する候補が当選しました。基地と引き換えの地域復興策という方便がもはや通じなくなっているということなんでしょうなぁ。

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南部戦跡巡りと、古民家のふーチャンプルー定食【1】 [2010冬 沖縄の旅]

きょうから計5回で18日から4日間の沖縄の旅日記をつづります。那覇までの往復航空券と、ホテル、レンタカー付きのプランだったので、日中はなるべく動いて、夜はたっぷり那覇の街を楽しむ、というのが基本的なスタイルでした。

大きなテーマに掲げたのが、南部の戦跡巡り、琉球王朝の城跡めぐり、美ら海水族館と沖縄料理とそば、泡盛を味わいつくすことでした。身重の妻と同行している割に、相変わらず欲張りですが。

1日目は那覇空港近くでレンタカーをピックアップした後、南に向かいました。

まず向かったのは、ひめゆりの塔。「ひめゆり」というのは沖縄師範学校女子部の校友会誌「白百合」と、県立第一高等女学校の「乙姫」を組み合わせた名前で、両校が戦前に併置されて、校友会誌も「姫百合」となり、やがて両校の代名詞になったのだとか。

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塔に向かう入口に献花売り場があり、ここで妻と花を買って、お供えしました。塔は病院があった壕の真上に建てられていて、最後は壕からの解散命令を受けた女学生たちのうち多くが、米軍が投げ込んだガス弾で命を落としたところ。

すぐわきにある平和祈念資料館も展示が優れていました。

英語教育を受け、バスケットボールを楽しむなど、平和な時間を過ごしていた女学生たち。彼女たちが地上戦を直前にして、看護要員として戦場に送られ、真っ暗な壕のなかで、どなり散らす傷病兵の看護をしながら、やがて最後のときを迎えていく経緯をフィルムや遺品、そして生存者の証言で示しています。

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そのあと、住民が海岸線まで追い詰められ、艦砲射撃と陸からの銃弾にさらされた喜屋武岬(きゃんみさき)や、平和の礎(いしじ)がある摩文仁の丘、県平和祈念資料館を見て回りました。激戦から65年。当時の光景とは対照的な、青い海と空の美しさが、物哀しさを際立たせるようでした。

米軍の攻撃だけでなく、日本軍による虐殺や、強制された集団自決にさらされた沖縄の人たち。県平和祈念資料館の展示室出口にあった「このなまなましい体験の前ではいかなる人でも戦争を肯定し美化することはできないはず」という言葉が、いたく胸に刻み込まれました。ブログ100123③.jpg

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お昼ご飯はひめゆりの塔にも近い「茶処ちなー」で「ふーチャンプル定食」(850円)。そばとジューシー(炊き込みご飯)、もずくと漬け物がついて、大食いの僕にもたっぷりの量でした。美味しかった。戦争で奇跡的に残った古民家で、柱や棟木に銃弾や鉄片の痕跡もありました。

                            ♪

朝刊勤務明けの土曜日は、午後2時から国道2号を御影公会堂まで西に進み、石屋川をさかのぼって、山手幹線を芦屋川、夙川を経て、武庫川まで。最後は国道2号で自宅に戻りました。2時間35分かけて、28.4キロ。体重は69.8キロ。今月累計は307.8キロ。

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